「喰女ークイメー」~夏の終わりと共に忘れてしまうには惜しいから~ ver.くりちゃん

喰女verくりちゃん

今年の夏は涼しくてうっかりするうちにあたりはすっかり虫の大合唱となった9月の初旬、「喰女」を観に行きました。これはホラー映画というより秋にふさわしい芸術作品でした。

とにかく劇中劇で演じられる『四谷怪談』の映像が美しい。さすが歌舞伎役者の海老蔵さん、姿の美しさに加え色男の残忍さをここぞとばかり表現しておられます。
そしてお岩さんを演じる柴咲コウさんの目を見張る美しさ。元の美しさがあればこそ、お岩さんの醜さが際立ちます。

「喰女」は生き霊

「うらめしや」のお岩さんは怨念をこの世に残して死んだ死霊です。
死霊は怖い。怨みを晴らさぬまま死んだ霊魂はこの世をさまよい続け祟るとされます。
古来日本人が最も恐れたのがこの「祟り」でした。
神社仏閣などで行われる鎮魂の儀式は、死者の霊を慰めこの世に悪さをしないように祈るものです。

それに比べて生き霊は、生きている人の怨念が肉体を離れ相手に取り憑いて祟るもの。
「喰女」はお岩を演じる「美雪(柴咲コウ)」の生き霊と言えましょう。
生き霊の怨念は憎い相手にまっすぐ向かい、怨みを晴らします。この映画のスカッとした感触はそのあたりにあると思います。

渇いた心

海老蔵さん演じる「浩介」と劇中劇の「伊右衛門」の悪ぶりは、本当に情け容赦がありません。足蹴にせよ、殴るにせよ、斬るにせよ、何のためらいなくここまでやれるかと思うほどの残虐性です。
暴力というものの結晶を純粋な形で見せられた思いです。
そこには人間性と言う湿潤はなく、恨みや憎しみを受け止める心さえ見当たりません。
怪談が怖いのはそれを怖がるウェットな心があってこそですが、ここにはさっぱりありません。
この映画がホラー映画としてちっとも怖くないのはそのせいかもしれません。

そして「渇いた心」は、柴咲コウさん演じる「美雪」にも当てはまります。愛人関係にある「浩介」が若手女優と浮気したり、美雪の付き人の加代子にちょっかいを出したりすることに気づいていながら、それを浩介に問いただすことはありません。おそらく看板女優のプライドがあるのでしょう。
その一方で、何度も妊娠検査薬を使って確かめるなど強い妊娠願望を抱いていることがわかります。
そして浩介もそれに気づいていて、そこから逃げ出したがっていることも。

そんな美雪の自己実現を果たせぬ恨みが、生き霊としての「喰女」を生んだのです。
それは自分の思い通りにならない相手を「喰い殺す」という自分勝手な生き霊で、もはや共感の余地はありません。
浮気が決定的になった夜、風呂場で自分の局部にフォークを突き刺し堕胎させるシーンがありましたが、妊娠検査は何度やっても陰性だったのですから、これは単なる妄想シーン。女の悲しみを煽ってみせる自作自演の狂気です。むしろ陳腐な復讐劇の小道具としてありもしない子供の命を使うことには疑問を感じます。

そして心に残ったものは

上映が終わり、隣で観ていた中年女性の二人連れは「気持ち悪い」の言葉を残してそそくさと席を立っていきました。私は、映像の美しさと音の使い方の巧みさ、現実と虚構が入り乱れて思いもかけなかった結末へ導かれる構成に「やられた」と思いました。これは倫理問題を跳ね飛ばして魅了する芸術作品なのでしょう。

けれど、お岩さんの魂はこれで鎮まったのでしょうか。
圧倒的な理不尽によって殺されたお岩さんの悲しみは、「喰女」が喰いちぎった伊右衛門の首ひとつで晴らすことができたのでしょうか。

この記事を書いた人

くりちゃん
くりちゃん著者
映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いて気ままに暮らし、ときどきこうしてレビューなんぞが書けたら最高。酸いも甘いもかみ分けた大人のレビューが書けるといいなあ。
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