「オール・ユー・ニード・イズ・キル」ゲーム感覚が楽しい時間SFアクション

オールユーニードイズキルポスター

よくわかる時間ものSFの分類

時間ものSFでよく使われるタイム・トラベル、タイム・トリップ、タイム・スリップ、タイム・リープ、タイム・ワープ、タイム・ループ、この違いをご存じだろうか。

タイム・トラベルは「時間旅行」という言葉の通りにタイムマシンなどを使って、意図的に時間の流れの中を旅すること。
元祖H・G・ウエルズの「タイムマシン」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がその代表だ。

タイム・トリップも「時間旅行」という意味だが、トラベルが動詞で「時間旅行をする」というニュアンスなのに対して、タイム・トリップは時間旅行そのものをさすことが多い。

タイム・スリップは「時間滑り」、もっと日本語らしく「時滑り」という方がわかりやすいかもしれない。タイム・トラベルやタイム・トリップが自分の意志で過去や未来に行くのに対して、タイム・スリップは何らかの外因で別の時代に飛ばされてしまう現象をいう。
「戦国自衛隊」と「ファイナル・カウントダウン」は、タイム・スリップものの名作だろう。
よく使われる、タイムマシンでタイム・スリップするという言い方は厳密には誤りなのである。

タイム・リープは「時間跳躍」で、元々は時間を超えることのできる超能力を指す言葉だった。
ところが、今関あきよし監督で映画化もされた高畑京一郎の「タイム・リープ あしたはきのう」の中で、意識の中だけで時間を移動する現象をタイム・リープとしたために、ウィキペディアなどではおかしな解釈がされている。
しかし、本来は筒井康隆原作の「時をかける少女」のように、現象ではなく能力を指すものだ。

タイム・ワープは「時間歪曲」という意味だが、時間旅行した事実を歪めるというわけではなく、レンズの歪曲収差などで使われる文字通りの歪み。タイム・トラベルが機械で時間の流れを航行するイメージだとしたら、こちらは時間の流れそのものを歪めて瞬間的に別の時代に飛び込む感じだ。
「スター・トレック」のシリーズでよく使われる空間を歪めるワープ・エンジンを利用しての時間旅行などは、タイム・ワープに分類できる。

タイム・ループは、意図的か偶然かに関係なく、同じ時間を何度となく繰り返してしまう現象をさす。
これには、ハロルド・ライミス監督の「恋はデジャ・ヴ」のように、主人公がその現象を認識してループしても記憶が残るものと、「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」のようにループしているという記憶が残らないものの2つのタイプがある。

ウエルズが「タイムマシン」で時間旅行という発明をしてから来年で110年、その間に幾多のSF作家が頭を絞って時間旅行小説を書いてきたので、時間旅行の方法も多様化しているのである。

タイム・ループの設定をひとひねりしたアイデア

桜坂洋のライトノベルを映画化した「オール・ユー・ニード・イズ・キル」も、テーマでいえばタイム・ループものに入るだろう。

舞台はギタイと呼ばれるエイリアンの侵略を受けている近未来の地球。
日本語字幕ではエイリアンの名称が原作にならってギタイだが、原語では擬態するという意味のミミックになっているのは面白い。

トム・クルーズ扮するケイジ少佐は、ギタイの血を浴びたことで死ぬ度に過去に戻ってしまうという能力を得る。
「恋はデジャ・ヴ」の主人公は同じ一日を延々(最初の脚本では数千年)と繰り返す間に、ピアノや氷の彫刻を始めてプロ並みの腕を持つようになるのだが、ケイジ少佐は戦場に出てギタイ軍団に殺される度に敵の攻撃パターンを覚えていくので、やがては敵の攻撃を難なく除け、敵が出現するやいなや射ち倒すという超人ぶりを発揮するようになる。

臆病な新兵扱いされていたケイジが、敵の動きを完全に予測して淡々とエイリアンを倒していく場面は見ていて痛快だが、これは我々も難易度の高いシューティング・ゲームなどで経験していることだ。敵の出る場所や弾丸の飛び方を覚えて、何度もキャラクターを失いながら少しずつ先に進んでいく、いわゆる「覚えゲー」をクリアする時の快感に通じているのである。

この映画の設定がユニークなのは、そのタイム・ループする能力が主人公の力ではなく、実はギタイが意図的に起こしている現象だというところだ。
どうやらギタイは他の惑星を侵略する時に、状況が不利になるとリセットして勝つまでやり直すという方法で、勝ち続けてきたらしい。

ケイジが得た能力がギタイに由来するということは、覚えゲー方式で勝ち進んでも最後はひっくり返されてしまう可能性がある。ゲームに例えるならば「ドラクエ1」の竜王に「世界の半分をやる」と言われて同意すると、強制的にリセットされてレベル1に戻されてしまうような力をギタイは持っているはずなのだ。

ところが、ギタイの動きは常に同じでケイジがループして覚えゲーで勝ち進んでいるのに対処して、何らかの手を打っているようには見えない。
おそらくギタイは戦況が不利になる度に時間をリセットしているので、リセットした数だけ時間の流れが存在しているのだが、偶発的にタイム・ループの能力を得たケイジは、そのひとつの時間の中でだけ勝手にループを繰り返しているようなのだ。

ケイジの動きはギタイの本来の時間軸の中にはなく、捨て去ったパラレル・ワールドの中で同じ時間を繰り返しているので、時間を操るギタイも容易に干渉しに来れない、ということなのだろう。
この辺の設定は字幕を見ても分かりにくく、原作からかなり改変されて映画独自の要素を加えられている部分も多いのだが、タイム・ループもののつじつま合わせとしては気が利いている。

まあ、原作と映画は別物として考えた方がいいのだろう。
日本公開前の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のポスターが「原作:桜坂洋」だったのが、いつの間にか「原案:桜坂洋」に変わっていたのも、その辺と関係があるのかもしれない。

バトルスーツの設定変更で増した迫力

オールユーニードイズキルポスター
原作からの改変で、映画的に面白くなったと思ったのは、地球の兵士達が着用する戦闘スーツだ。
原作では、人型ロボットの中に入るような防御力の高そうなパワードスーツだが、映画ではほとんど防御力の無さそうな骨組みだけのロボットアームを装着するだけになっている。

これは、現在米陸軍用に開発されている「ハルク」やレイセオン社の「サルコス」といった、人間の動きを強化するための装備とコンセプトが同じで、要するに人間では持てないような大型の重火器と多量の弾丸ユニットを、生身の人間に持たせるためのパワーアシストの道具に過ぎない。

ケイジと同じ分隊に、ほぼ裸でこの装備だけをつけている兵士がいるが、これなどは褌一丁に腹巻と呼ばれる簡易鎧をつけた戦国時代の足軽のようで、実に頼りない出で立ちなのだが、消耗品の兵士に防具よりもまず強力な武器を持たせるという無茶な思想がかえってリアルですらある。

当然、ギタイに一撃されるとあっという間に殺されるのだが、これが戦闘シーンの危機感を盛り上げていたし、なによりケイジがすぐにやられては復活するというテーマにふさわしい装備になっていた。
難点は、「エイリアン2」でリプリーがエイリアン・マザーと戦う時に使用するパワーローダーや、「マトリックス」シリーズで人類が使用するアーマード・パーソナル・ユニット(APU)に似ていることで、実際、戦闘スーツのマシンガンで飛びかかるギタイを撃破するシーンは、APUでセンティネルズの群れを撃ち落とす場面とあまりに似すぎている。

見ていて10年前のマトリックスの劇場にタイム・ループしたかと思うレベルだった。
そういう瑕疵は多いのだが、総合的にみて今年のSFアクション映画の中では、満足の行く作品だった。
やはり、桜坂洋の原作中のセントラル・アイデアがしっかりしていたせいだろうと思う。

オールユーニードイズキル写真

原題:Edge of Tomorrow
監督:ダグ・リーマン
主な出演:トム・クルーズ
エミリー・ブラント
ビル・パグストン
ブレンダ・グリーソン

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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