「猿の惑星:新世紀」が予言する未来

猿の惑星:新世紀

疫病と戦争がもたらす破局

正直、猿の惑星がここまで重厚な作品になるとは予想していなかった。
前作「猿の惑星:創世記」では、猿たちを進化させるウイルスが人間には致命的な病をもたらす、という可能性を暗示するような終わり方にとどまっていた。エンドロールの航空路線がパンデミックを思わせて世界に広がって行くビジュアルも、気の利いたエンディングぐらいの感じだった。
ところが、この続編は、猿インフルエンザによって人類のほとんどが滅亡したところから始まる。普段ならば、「12モンキース」並みのウィットの効いた文明批判で済まされたかもしれないが、猿も宿主となるエボラ出血熱の爆発的流行が懸念されるこのタイミングでは、絵空事と笑い飛ばす気にはならない。
そして、今回のメインになるテーマは、生き残った人類とシーザー率いる類人猿の、相互不信から来る対立と破局である。

映画は現実を映す鏡となった

これまた、イスラム国と米国主導の有志連合の終わりの見えない戦いに重ねて見るなという方が無理だ。
猿にも人にも、相手の事を理解しようとする善なる者もいるのだが、その逆の、相手を不信の念でしか見ない者が主導権を握れば、ささいなきかっけで両者は戦いを始めることになってしまう。人類の大多数が戦争を望んでいなくても、少数の権力者がそれを望めば戦争は起きてしまう。そして、一度そうなったらシーザーのような有能な指導者がいても、止めることはできない。この映画は観客にそういうメッセージを送ってくる。
シリーズの途中なので解決策は提示されないし、解決策があるとしたら、猿が人類を滅ぼして地球に優しい文明を築くことだけだろう。「猿の惑星」というのは、そもそもそういう物語なのだから。

重苦しい展開は現実の反映

疫病や戦争という現実をあまりにも的確に反映させてしまったために、「猿の惑星:新世紀」は今までになく重く暗い。前作「猿の惑星:創世記」の檻に収容された猿たちが、次々に脱走して森へ向かう時の開放感、高揚感などは、薬にしたくてもない。
この先、「猿の惑星」の新シリーズがどのように展開していこうと、第一作で予言されていたように人類は滅ぶしかないだろう。前シリーズの最終作「最後の猿の惑星」は、戦いの末に人と猿が共存していくという、それまでの流れを全否定するようなあっけらかんとしたラストだったが、そういう楽観主義はもはや望むべくもない。
映画の中で人類が滅びるより先に、現実世界で人類が滅びないようにするにはどうしたらいいか。そう簡単に答えが出る問題ではないが、この映画を機に考えて見るのはどうだろう。

キャスト

監督:マット・リーヴス
キャスト;アンディ・サーキス
ジェイソン・クラーク
ゲイリー・オールドマン
ケリー・ラッセル

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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