「超高速!参勤交代」映画の黄金時代を築いた明朗チャンバラ時代劇の復活

超高速!参勤交代

ルーツは「まらそん侍」か?

初めて「超高速!参勤交代」というタイトルを見た時、これは当たるのではないかと思った。
未来的な「超高速!」と、どう考えても江戸時代の「参勤交代」という言葉の組み合わせに大映の時代劇「まらそん侍」を連想したからだ。

森一生監督の昭和31年の映画「まらそん侍」は、幕末の上州安中藩で行われていた「遠足(とおあし)の儀」という藩士の鍛錬のためのマラソン大会に、若侍の恋の鞘当てやお家の重宝争奪戦をからめた時代コメディで、これまた「マラソン」と「侍」というミス・マッチなタイトルのインパクトが強い。
もともとNHKのラジオドラマとして放送されたものを映画化した作品なので、当時も受けたのだろうが、今見るとトニー谷や大泉晃らのコメディリリーフよりも、まだ若き二枚目だった頃の勝新太郎たちが本気のマラソンで息を切らせながら演技しているあたりが巧まざるユーモアになっていて笑える。

後で調べたら、「超高速!参勤交代」の脚本で城戸賞を受賞した土橋章宏は、この安中の遠足を題材にした「幕末まらそん侍」という小説も書いているので、今もイベントとして続いている安中市の安政遠足侍マラソンが「超高速!参勤交代」を生み出すきっかけになったのは間違いないだろう。

正統派チャンバラ時代劇の後継者

最近の邦画界でも時代劇が多く作られるようになってきたが、「超高速!参勤交代」は、たとえば「雨あがる」や「たそがれ清兵衛」のような本格派時代劇ではない。
といって「るろうに剣心」や「五条霊戦記」のような今どきの変革時代劇でもない。あえて言うなら正統なチャンバラ時代劇映画だ。
もともと時代劇という言葉は歌舞伎から来たもので、当時の現代であった江戸の庶民の世界を描くものを世話物と呼んだのに対して、当時から見て過去だった鎌倉、室町の武士の世界を描くものを時代物と呼んだ。

日本の映画は歌舞伎をスクリーンに再現することから始まったので、歌舞伎用語もいろいろ取り入れられていて、時代劇という言葉も、当時の現代であった明治以前の過去の時代を描く言葉として使われるようになった。
チャンバラも元は歌舞伎に関係の深い言葉だ。歌舞伎の立ち回りの時の伴奏音楽として使われる曲に「延年の舞」という長唄の曲がある。これは歌舞伎十八番の「勧進帳」で弁慶が延年の舞を踊る時の伴奏曲なのだが、無声映画時代の闘争場面で楽士がこの曲を使うことが多く、三味線の音が「チャンチャンバラバラ」と聞こえることから、剣戟シーンの代名詞になった。

出自が歌舞伎の殺陣なので、チャンバラ映画では切っても血が出ないし、刀に血糊がつくこともない。リアリズムとか時代考証とかを抜きに、どこまでもお芝居とわかった上で楽しむものだった。
戦後の東映や大映の時代劇の大半はこういうものだった。
それが変化するきっかけとなったのは、やはり黒澤明の「七人の侍」や「用心棒」のような、切れば血どころか腕も飛ぶようなリアルな時代劇で、東映も大映も歌舞伎的なチャンバラ映画からリアルな時代活劇へとシフトして行くことになる。
この結果、東映では工藤栄一監督の「十三人の刺客」のような集団抗争時代劇、大映では三隅研次監督の「座頭市」、「子連れ狼」のようなリアルな殺陣を売りにしたシリーズが人気を博していくのだが、その一方で明朗なチャンバラ時代劇は、劇場用映画からテレビドラマへとその場を移していく。

こうして、紀州と尾張の藩主が将軍になるのが嫌で城を抜け出し、旅人姿になって歌いながら東海道を漫遊する「殿さま弥次喜多」シリーズのような、脳天気ともいうべきチャンバラ時代劇は姿を消してしまうのだ。

絶妙なキャスティングの佐々木蔵之介のお殿様

「超高速!参勤交代」は、こういう正統派チャンバラ時代劇に連なるもので、「武士の一分」や「隠し剣 鬼の爪」のような正統派時代劇に比べるといい意味でいい加減に作られている。
切られても血は出ないし、刀に血糊もつかないからそのまま鞘に収められる。
登場人物の風俗なども享保というよりも、幕末あたりではないかと思うようなところが多い。
いっそ、六角精児の弾くギターの伴奏で、一同が歌いながら道中すると、明朗痛快チャンバラ時代劇らしさが増したのだが、そこまでは求めまい。

ヒロインである深田恭子のメイクや立ち居振る舞いも、今風というか、あんみつ姫レベルというか、まあ、とうてい享保時代の宿場女郎には見えないが、チャンバラ時代劇はそれでいいのである。むしろ、それでないといけない。
この深田恭子をはじめ、どれも正統派時代劇向きでない役者を集めたのはキャスティングの妙だろうが、なんといっても殿様役の佐々木蔵之介でこの映画は成功している。

冒頭、参勤交代の帰りに馬から下りて農民の差し出す大根を土のついたまま齧って美味いなぁというあたりで、この殿様のキャラクターがわかる。しかも、この大根があとあとちゃんと伏線にもなっているあたりもよく脚本が練られている。
殿様の食事といえば尾頭付きの鯛に箸を一口つけるだけ、というのは落語の「目黒の秋刀魚」の枕で有名な話なのだが、この殿様は前日に片身を食べたらしい鯛を自らひっくり返して、鯛は二日目が美味いなどとつぶやく。

昼行灯、実は剣の達人というカタルシス

殿様、ともかく好人物である。
それでいて、重要なことは西村雅彦の家老に任せっきりという昼行灯ぶり。
のっぺりした殿様顔だし、徹頭徹尾そういうとぼけたキャラクターなのかと思って見ていると、後半、忍びに襲われると抜刀術であっという間に斬り伏せる。
今までが「忠臣蔵」の大星由良之助や「一条大蔵譚」の大蔵卿並みの韜晦ぶりだから、その対比でこの殿様の格好のよさに観客はしびれてしまう。
深田恭子を女郎屋から救い出すところなど、まさに最近はとんと見かけない白馬の王子様そのもの。
これは、よく見ると二枚目だけど何となく茫洋としている佐々木蔵之介だから成立するので、たとえば松平健や高橋英樹だったら、昼行灯を装っているけれど、本当は剣の遣い手なんだろうなと思ってしまうに違いない。
佐々木蔵之介だと本当にこのままのぼんくらでいくのかな、と思ってしまう。

家来一同も、我々は一騎当千などと豪語しているが、六角精児、柄本時生、寺脇康文といった、あまり剣の遣い手に見えない顔ぶれで、額面通りには受け取れない。見るからに腕の立ちそうな伊原剛志の抜け忍もあいつらはダメだみたいなことを言うし、実際、途中で寝込みを襲われるとぼろぼろになって逃げ出すものだから、口先だけだろうと思って見てしまうのだが、これが佐々木蔵之介と一緒でいざとなると強い。
クライマックスの忍者軍団の待ち伏せを突破する場面など、まさに一騎当千。敵をばったばったと倒して一人も死なないという、まさに痛快チャンバラ時代劇のご定法通り。
切りまくる家臣たちより見ている方がカタルシスを感じる場面だ。

「十三人の刺客」の書き替え

この場面でこの話自体が三池崇史監督でリメイクもされた「十三人の刺客」の裏返しと気づいた。
武士の一団が山を越え、宿場町で大名の一行を待ち伏せするという「十三人の刺客」が、ここでは大名一行が山を越え、江戸市中で忍びの者の待ち伏せを突破するという風にひっくり返している。
一行の中に伊原剛志、六角精児、近藤公園と、十三人の刺客のメンバーが三人も入っているからなおさら面白い。
これはパクリとかいうものではない。
チャンバラ時代劇のルーツである歌舞伎では、こういう先行作品を巧妙に取り入れて別物に仕立て上げる作劇法を「書き替え」と呼ぶ。和歌の本歌取りに通ずる高度な作劇法なのだ。
そして、こういう上手い書き替えものを賞める時には「ご趣向」という言葉を使って、こんな風に褒めそやすのだ。
「ようよう、超高速!参勤交代、出来ました。ご趣向、ご趣向」

監督:本木克英

主なキャスト

佐々木蔵之介
深田恭子
伊原剛志
寺脇康文
上地雄輔
知念侑李(Hey! Say! JUMP)
柄本時生
六角精児
市川猿之助
石橋蓮司
陣内孝則(特別出演)
西村雅彦
甲本雅裕
前田旺志郎
近藤公園
神戸浩
原作:土橋章宏(ドバシアキヒロ)

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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