「呪怨 −終わりの始まり−」はJホラーの終わりの始まりか、新たな始まりか

呪怨

恐怖のパターンを確立した「呪怨」シリーズ

「呪怨」といえば「リング」と並ぶJ(ジャパニーズ)ホラーの代表作だが、鈴木光司のベストセラーの映画化である「リング」に対して、「呪怨」はレンタル主体のオリジナルビデオとしてリリースされ、その後に劇場版が作られたという違いがある。
いわば、恐ろしさが呪いのビデオのように人から人へと伝えられたわけだが、確かにビデオ版の「呪怨」は、ハリウッドのリメイク版も含めて全シリーズの中でいちばん怖い作品だという人も多い。

ビデオ版に始まる「呪怨」の基本パターンは、ある家を訪れた人がそこで殺された伽耶子の怨念によって次々に不幸な死を遂げるというもので、複数のエピソードを時系列をバラバラにして見せる構成、伽耶子と俊雄の出現の仕方など、リメイク版の「THE JUON/呪怨」や最新作である「呪怨 −終わりの始まりー」でもそれは変わっていない。
続篇がパラレル・ワールドだったり前日譚だったりと、作品ごとにパターンを変えてきた「リング」との大きな違いがそこにある。
ビデオ版「呪怨」以降の作品はすべてリメイクであると言ってもいいくらいなのだが、この同じパターンをくり返すというスタイルを確立したのが、「呪怨」の人気の秘密でもあっただろう。

海外版「呪怨」の成功と失敗

1作目が評判になったのなら、2作目、3作目も同じパターンで観客が飽きるまで続ければいいところを、観客に飽きられることを恐れてか、無理にパターンを変えて失敗する例はいくらでもある。実際には「水戸黄門」や「サザエさん」を見てもわかるように、観客は意外に飽きないものなのだ。
事実、「呪怨」もビデオ版の続篇「呪怨2」、映画版の「呪怨」「呪怨2」、リメイク版「THE JUON/呪怨」までは同じパターンの繰り返しで、興行成績も日米ともに良好だった。しかし、オリジナルストーリーにしたハリウッド版「呪怨 パンデミック」は日米ともに前作ほどの興収を上げられず、その続篇の「呪怨 ザ・グラッジ」は日本では劇場公開されずにビデオスルーとなった。
シリーズ10周年で作られた「呪怨 白い老女」「呪怨 黒い少女」の2作に至っては肝心の伽耶子が登場しない番外編で、これも一般には話題にもならなかった。

初期の呪怨の怖さはどこにあったかというと、わけのわからない恐怖、不安、そして不条理な死という説明のなされていない部分だったと思う。
伽耶子の怨念が押し入れに宿っている理由や、俊雄や猫の存在理由などは、ビデオ版「呪怨」では映像を見ただけでは理解できない作りになっていた。その真の意味を観客が知るのは、後に描かれたノベライズや他の関連作品によってだったのだ。

何が起きているのかわからないから怖い、というのはアメリカ人の好みでなかったらしく「呪怨 パンデミック」あたりから呪いの意味などをつけ加えるようになり、怖さはかなり薄れたと思う。
これは当然で、人はわけのわからない現象に幽霊やポルターガイストという名前をつけ、理解できるものにして恐怖をやわらげようとしてきたのだから。

マイルドな怖さの「呪怨 −終わりの始まり−」

シリーズ最新作「呪怨 −終わりの始まり−」は、基本的にはビデオ版「呪怨」「呪怨2」のリメイク、もしくはリブートといえる。
ビデオ版で柳ユーレイ(柳憂怜)が演じていた小学校の教師を佐々木希に替えたために、伽耶子と教師の関係がビデオ版とは異なるものになった、というような差異はあるが、小学校の話も不動産屋の話もショッキングな殺され方もほとんどビデオ版に原形がある。
そのためオリジナルであるビデオ版と比較がしやすいのだが、怖さに限っていえば今回のリブート版はかなりマイルドになっている。

これは、伽耶子の因縁話を事細かに解説してしまっているというハリウッド式のストーリー作りを踏襲して不条理な怖さが薄れたという他に、監督がビデオ2作、映画2作、ハリウッド版2作を監督したシリーズの生みの親である清水崇から、落合正幸に変わったことが大きいと思う。
落合正幸といえばフジテレビの「世にも奇妙な物語」で最多35作を演出し、「催眠」「感染」「怪談レストラン」などの監督作もあるホラー系作品に強い監督なのだが、清水崇に比べると怖いシーンを撮ってもどこか明るくなってしまうのだ。「世にも奇妙な物語」といってもいいが、安心して恐怖を楽しめるタイプの演出をする。

トリンドル玲奈をはじめとする4人の女子高生が伽耶子の呪いで悲惨な目にあうシーンも、オリジナルに比べるとあまり怖くない。ビデオ版「呪怨」よりもむしろ、少女たちがピアノや電灯や時計に喰われてしまうコミカルな要素の強い大林宣彦監督の「ハウス」を思い出すところがあった。
何も起きていないのに生理的に嫌な感じの映像を撮る清水崇とは資質が違うのでそうなって当然なのだが、この怖さの度合いの違いは意図的なのだろう。

Jホラーの終焉と復活

というのは、ある意味Jホラーの時代は終わっているからだ。
1990年代に始まるJホラーは、当時の牽引役だった鶴田法男、中田秀夫、清水崇、黒沢清、三池崇史の後を継ぐ世代が出てこない一方で、「リング」の貞子が始球式に登場したり「らき☆すた」とコラボしたりするなど、観客の指向が絶対的な恐怖ではなく、怖くて面白いものを求める方にシフトしてきている。
もはやビデオ版「呪怨」のような、わけのわからない恐怖をもたらす映画というのは求められてはいないのだろう。

「呪怨」と「リング」の両シリーズをプロデュースした一瀬隆重は、他にも「仄暗い水の底から」「予言」「感染」といったJホラーを手がけ、20世紀フォックス映画社が、一瀬の会社が映画を作ったら優先的に買い付け交渉をする、というファーストルック契約を締結するほどハリウッドでも期待されたプロデューサーだった。だが、怖さの度合いでは「呪怨」と肩を並べるほどだった清水崇監督の「輪廻」が成績不振に終わったあたりから、手がけるJホラーはどれも「呪怨」のようなヒットはせず、ついに製作会社も倒産している。

現在、順調なホラーというのは前田敦子主演の「クロユリ団地」、入山杏奈主演の「青鬼」のようなアイドルと恐怖の組み合わせで、これが本格的に恐怖を体験させるタイプのホラーではないことは容易に想像がつく。前田敦子の顎が引き裂かれたり、入山杏奈が顔面に大やけどをしたり、というようなシーンがあるはずはないからだ。

観客が求めているのが「学校の怪談」レベルのちょっと怖い話に可愛い女の子が巻き込まれるというものならば、佐々木希とトリンドル玲奈を二枚看板に、「世にも奇妙な物語」的なテイストのホラーが得意の落合正幸を合わせるというのは、いい選択だったのではないかと思う。
実際、「呪怨 −終わりの始まり−」は興収5億円を越えるヒット作となった。

5億円でヒットなのかと思われるかもしれないが、見るからに低予算のこの作品が上映のスクリーン数も増やして5億円稼げれば、邦画的には大ヒットなのである。伽耶子役の最所美咲によれば、5億円突破で大入り袋が出たそうだ。
100億突破でもコケたといわれるハリウッド大作に比べると悲しくなるほどの予算のなさだが、Jホラーの特徴の佇むだけの霊や、心理に重点を置いた恐怖というのは、そういう中から生まれてきたのだ。
製作側が何十億というような大ヒットを期待せず、限られた予算で本当に怖い映画を作ろうとした時、新たなJホラーは誕生するのかもしれない。

キャスト

原案・監修:清水崇
監督・脚本:落合正幸
脚本:一瀬隆重
佐々木希
青柳翔
トリンドル玲奈
金澤美穂
最所美咲
小林颯

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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