「機動警察パトレイバー劇場版」は25年後にその真価がわかった

機動警察パトレイバー劇場版pat2

パトレイバー劇場版1&2イッキミ

ユーザーのリクエストに応じて配給会社、映画館と交渉し、旧作や未公開作をスクリーンで上映するドリパスというサイトがある。
リクエスト数に応じて上映交渉に入るので、実際にはジャニーズ系タレントの出演作とカルトなアニメやSFばかりが上映されているのだが、DVDで見られる映画をわざわざ金を出して映画館で見ようという人が数百人単位で集まるのはそういう層だろうからなんの疑問もない。

そのドリパス主催で8月2日に「機動警察パトレイバー」劇場版の1と2のイッキミ上映が行われた。
パトレイバー劇場版は押井守監督作品の中でも攻殻機動隊シリーズと並んで再上映の多い人気作だ。2010年と2012年には新文芸坐のオールナイトで1と2に加えて番外編的な「WXIII 機動警察パトレイバー」と短編ギャグアニメ「ミニパト」3部作の一挙上映が行われて満員の盛況だった。
それに比べると1と2だけでイッキミは誇大な感じもするが、WXIIIとミニパトは押井の息はかかっているものの監督作品ではないので、押井守の監督作品としてはこれで正しいことになる。

パトレイバーを嫌っていた押井守

パトレイバーは、漫画家のゆうきまさみが架空のアニメとして構想していたものに、メカニック・デザイナーの出渕裕、キャラクター・デザイナーの高田明美、脚本家の伊藤和典らが次々に参加してヘッドギアというチームが作られ、最後にアニメ監督の押井守が引っ張り込まれる形でアニメ化の企画が進められた経緯がある。

結局、この企画は最初にゆうきまさみの漫画連載、ほぼ同時に全7話のOVA、1年後に劇場版第1作、その後にようやく47話のテレビシリーズ、テレビシリーズ終了後に小説版5巻と新OVAシリーズ16話、という通常のアニメとは異なる過程を経てマルチ・メディア展開されていく。劇場版第2作とその小説版は、シリーズの一応の完結編という位置づけだった。

このシリーズにおける押井守のスタンスは微妙だった。
ゆうきや出渕の構想したロボットアニメ的なものに異を唱えていた押井は、短編のOVAやテレビシリーズでは、レイバーがほとんど登場しない作品ばかりを作る。
パトレイバーのアニメを見ていて、ハゼ釣りに行った船が座礁して後始末に苦労する話、中華屋の出前が届かずにパニックになる話、下水道に潜むワニに襲われる話、風呂が壊れて全員が銭湯に行く話、整備班内で風紀取締が行われる話、というようなパトレイバーがほとんど登場しないドタバタ劇があったら、8割は押井守の脚本か演出作品だ。そして、残りの2割は伊藤和典の脚本だ。

パトレイバー抜きのシリアスな劇場版

その一方で、押井守は長編ではギャグのほとんど入らないシリアスな作品を作っていく。
レイバーのオペレーティングシステムに仕掛けられたウイルスで東京の都市計画が頓挫する1989年公開の1作目、見せかけの平和に安住して来た東京がテロによって戦争状態に引きずり込まれる1993年公開の2作目。

それぞれの舞台となった1999年と2002年の世界すら近未来から過去になってしまった今、この2本を見ると作業用レイバーなどは未だにできる見込みもないが、コンピュータ・ウイルスによる都市機能の喪失や、交戦権を持たずにPKOに派遣された自衛隊が攻撃を受けて全滅する可能性などは、ますます現実味を帯びてきている。

当然、本来の主役であるパトレイバーとその搭乗員たちは脇へ追いやられ、脇役であるはずの後藤隊長、松井刑事が話を進めていく。
2作目に至っては、後藤隊長と陸自の荒川茂樹、南雲警部とテロ首謀犯の柘植行人という中年の男女の複雑に入り組んだ人間関係がメインで、特車二課のメンバーは彼らの敷くレールの上で動く存在でしかなくなる。

タイトルロールのパトレイバーも、最後にレイバーと特車二課第二小隊の戦闘シーンがある1作目はまだしも、2作目ではレイバーは映画の最初と最後に登場するだけであり、アヴァン・タイトルのPKO部隊の戦闘レイバーはゲリラのミサイルによって、クライマックスのパトレイバーは有線操縦の戦闘用ロボットによって徹底的に破壊されてしまう。
立って歩く人型歩行兵器などミサイルの絶好の標的であり、ロボット兵器を作るなら人を乗せずに後方で誘導する方が理に適っている、という押井の軍事思想の反映だろう。

欺瞞に満ちた平和、真実としての戦争

軍事マニアでもある押井は、2作目でくり返し日本の戦争と平和について語るのだが、それは公開当時よりも、集団的自衛権や島嶼防衛が論議される今の方が深みを帯びてきている。

「戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価を余所の国の戦争で支払い、そのことから目を逸らし続ける不正義の平和」

「戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる」
といった荒川の台詞は、押井が憲法9条を護持していれば戦争は起きないという集団幻想的平和論に突きつける刃だろう。

戦後の日本人は自ら戦争を起こすことを恐れて憲法9条を信奉してきたが、日本の外で起きる戦争にどう対処すべきかということは論議してこなかった。
冷戦時代ならば、米ソの2大国とその侵略を受ける小国という分かりやすい図式で、アメリカもソ連も侵略を止めろと言えば済んだが、ワジリスタン紛争やガザ紛争のような民族や宗教に起因する戦争になると、被害を受けている人民は確実に存在するものの、どちらか一方が悪と決めつけることはできなくなっている。

この劇場版の中には、それに対する疑問はあるが、ではどうすべきなのかという答えはない。
だから軍備を拡張しろとか、あくまでも憲法を守れ、というようなプロパガンダがあったら、この作品の価値は半減していただろう。
これはアニメに教えられるのではなく、我々自身が考えて答えを出さなければならない問題なのだから。

期待の高まる実写版長編

現在、押井守はパトレイバー・シリーズ25周年を記念して作られた「THE NEXT GENERATION -パトレイバー」の総監督として、7章に分かれた短編とオリジナル長編の実写化プロジェクトを進めている。

実写版の短編は現在までに3章6話が劇場公開されているが、そのどれもがアニメ版で手がけたようなドタバタ・コメディになっている。このあまりのはじけっぷりに長編劇場版もこの調子でやられたらどうしよう、と心配する声も多いのだが大丈夫。
これは、OVAやテレビシリーズでは特車二課の連中の日常を描くドタバタ劇を描き、劇場版長編ではアニメの主役が脇にまわるシリアスなシミュレーションものを描くという押井守の常套手段で、短編がくだらなければくだらないほど、長編は重く深刻な内容になるだろう。

劇場版第2作よりも重い作品というのはなかなか想像しがたいが、バブルの残滓が残り、911も311も経験していなかった当時に比べて、我々を取り巻く環境は確実に悪化している。
テロの問題にしても放射能の問題にしても、日常生活では忘れたふりをしている我々に、押井守は「目をそらすな、これが現実だ」というような重苦しい作品を突きつけてくるであろうことは間違いない。

それに対する心の準備に劇場版2作を、緩衝材として実写短編をおさらいしておくのがいいかもしれない。
機動警察パトレイバー劇場版pat1
「機動警察パトレイバー the Movie」
監督:押井守
脚本:伊藤和典
原案:ゆうきまさみ
原作:ヘッドギア
音楽:川井憲次
主な声の出演:古川登志夫
:冨永みーな
:大林隆介
:榊原良子

「機動警察パトレイバー2 the Movie」
監督:押井守
脚本:伊藤和典
原案:ゆうきまさみ
原作:ヘッドギア
音楽:川井憲次
主な声の出演:大林隆之介
:榊原良子
:冨永みーな
:古川登志夫
:竹中直人
:根津甚八

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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