「喰女ークイメー」は四谷怪談の恐怖を現代に移植した ver.天元ココ

喰女ver天元ココ

設定は面白い、だがオリジンほど怖くはない

鶴屋南北の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」といえば、歌舞伎だけでなく新劇や映画、ドラマと幅広いジャンルで演じられてきた怪談の古典だが、原作を越える作品というのは少ない。

この「喰女」も「四谷怪談」の世界と、それをアレンジした舞台劇「真四谷怪談」を演じる現代の役者の世界が重なりあって行くというホラーで、歌舞伎の「四谷怪談」が重要な役回りで演じられていく。
見ているうちに、登場人物にも観客にも次第に現実と虚構の境が明確でなくなっていくあたりは面白いのだが、怖さという点では南北の原作に比べるとさほどでもない。
その原因は、一にも二にも主演の市川海老蔵の立ち位置にあると思う。

梨園の御曹司、それも市川團十郎家という江戸歌舞伎でもっとも重要な家の跡取りに生まれながら、海老蔵は俳優としてよりも、例の暴行事件をはじめとしたゴシップで一般に知られるようになったはずだ。
同い年で学校も同じ青山学院高等部、親同士も親友で子供時代から同じ舞台を踏んできた尾上菊之助の品行方正ぶりと比べると、海老蔵のヤンチャぶりは歌舞伎ファンの間でも評判がよくない。
スウェット姿でどこにでも出かけ、それをブログで喜々として公開するようなところは、なにかとやかましい歌舞伎の周辺では眉をひそめられている。

海老蔵が海老蔵にしか見えないという難点

この映画で海老蔵扮する長谷川浩介という役者、これがどうみても海老蔵本人にしか見えない。
原作でも映画でも、柴咲コウ扮する人気女優、後藤深雪の恋人という立場で晴れの伊右衛門役を射止めた二線級俳優という設定なのだが、海老蔵のオレ様感で、どうしてもそうは見えない。
海老蔵が柴崎コウに横柄な態度をとっているように見えるので、女優の名前が大きく扱われている劇中のポスターが写るまで、海老蔵の方が立場が上の人気俳優かと思っていたくらいだ。
特に劇中劇で田宮伊右衛門を演じている時など、まるで、世界は自分を中心に回っているような大物感を漂わせてしまう。

それはよくも悪くも、物心ついたころから坊ちゃん、若旦那として、成田屋一門の上に立つべく帝王学を学んできたおかげなのだが、それが劇中劇の舞台だけでなく、私生活の場面にまでにじみ出てしまっているのが、どうもいけない。
人気女優と二流俳優ではなく、梨園の御曹司海老蔵とその主演映画に抜擢された若手女優柴咲という風に関係が逆転してしまうので、長谷川浩介の後藤深雪に対する気づかいが、女たらしの甘言にしか見えなくなってくるのだ。

主人公の男がそういうダメ男に見えてしまうと、女癖が悪くて捨てられた女に祟られようと、あまり同情する気にならない。どちらかといえば「ざまぁみろ」という感じになってしまう。
これが、この映画の恐怖が南北の「四谷怪談」に及ばない理由ではないかと思う。

実は人間心理を深く突いた南北の「四谷怪談」

一般的に「四谷皆伝」の伊右衛門というと、この映画のように他に若い女ができると前の女をあっさり捨ててしまう女たらしのジゴロ的に描かれることが多いのだが、南北の原作というか現行の歌舞伎での演出では、伊右衛門は根っからの悪人とも思えない描き方をされている。

歌舞伎を見ていると、伊右衛門がお岩さまにべた惚れだったことからこの事件が起きているように見える。
そもそも、伊右衛門とお岩さまは惚れ合った夫婦だったのが、伊右衛門の公金横領という悪事が露見したために無理矢理別れさせられたという設定なのだ。
伊右衛門がお岩さまの父の四谷左門を殺してしまうのは復縁を断られたためだし、そこまでして元の鞘に収まったものの、心変わりするのはお岩さまに子供が生まれてからだ。
これを産後の肥立ちが悪くて容色が衰えたからとみるのも可能だが、自分だけに注がれていたお岩さまの愛情が子供に移ったためのようにも見えてならない。
弟なり妹なりが生まれて親がかまってくれないと反抗する子供のようなものだ。

そういう妻の愛情に飢えていたところへ、自分に惚れているお梅という若い女が現れたのでつい浮気したというところで、いわゆる女たらしの様相は微塵もない。
この映画の中でも描かれるように、お岩さまに毒を盛るのもお梅の身内の仕業だし、自分から別れ話を切り出すのではなく、按摩の宅悦に不義密通をしかけるようそそのかすという間接的な方法でしか縁を切ろうとしない。
毒を飲ませた後のお岩さまの顔を見て「変わった…」ともらす時の伊右衛門には、計画が上手く行ったという達成感よりも、後悔の念が見てとれるのが、今の歌舞伎だ。

復讐譚とは別種の生理的な恐怖

伊右衛門をそういう周囲に流される弱い人間として描いているので、観客も伊右衛門に同感はしないまでも、こういう事態は自分たちにもありうるという気になる。少なくとも、梨園の御曹司のご乱行よりは、非常に身近な感じがするのが歌舞伎の伊右衛門なのだ。
この映画の田宮伊右衛門=長谷川浩介には、どうもそういう観客に同情される要素というのが希薄だ。

アメリカのホラー映画でいうと、金髪でグラマーなバカ女といっしょに最初にモンスターに殺されるマッチョ野郎というところで、感情移入がしにくい。
むしろ、ひどい目に遭えばいいのにという気がしてくるのは、復讐譚としてはありだが、怪談ものとしては怖さを削ぐ一因になっている。

では怖くないのかといえば、そこは三池崇史監督なのできっちりと観客が怖気をふるうような場面を作ってくる。
原作の小説には書かれていない、ビニールの布、食器や調理器具といった身の回りにある物が実に怖い描かれ方で出てくる。これはもう復讐という論理的なものではなく生理的に怖い。
日常にあるものを怖く見せるというのはJホラーの特徴のひとつなのだが、考えてみれば南北の「四谷怪談」は200年近く前からそれをやっているのだから、日本のお家芸といってもいいのかもしれない。

原作では結末をくだくだしく書いているが、映画はストンと断ち切ったような終わり方をする。
終盤の展開は予想とは違う方向に、しかもスピーディにラストまで至るので、見終わった後で、じわじわと別種の恐ろしさが込み上げてくる。
これがこの映画の見どころかもしれない。

キャスト

監督:三池崇史
原作:山岸きくみ「誰にもあげない」
脚本:山岸きくみ
主な出演:市川海老蔵
柴咲コウ
伊藤英明
中西美穂
古谷一行

この記事を書いた人

天元ココ
天元ココ著者
オリオン座近くで燃えた宇宙船やタンホイザーゲートのオーロラ、そんな人間には信じられぬものを見せてくれるような映画が好き。
映画を見ない人さえ見る、全米が泣いた感動大作は他人にまかせた。
誰も知らないマイナーSFやB級ホラーは私にまかせてください。
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